古のタンパク質源争奪戦
栄養学の大切さが広く認識されるようになったのは、恐らくここ数十年の事だと思います。
それ以前は「食品にどんな成分が含まれるか?」というような細かい事は専門家レベルの話。
せいぜい「体に良い食べ物」とか「滋養がある食べ物」という定番の食品があった程度で、さらにもっと前なら「いかに飢え死にしないか」という事が重要だったのではないかと思います。
管理人の昔住んでいた家の近くには、歴史関係の資料や模型や展示物が見られる博物館があるのですが、そこには「平安時代の一般的な献立」が身分別に紹介されていました。
言うまでも無く、肥満が社会問題になる現代と比べれば全体的に恐ろしく質素な食生活なわけですが、それでも社会的地位が高い人の献立を見ると、
ご飯・穀物・少量の野菜類・乾燥させた海草らしきもの・小魚
という風に、それなりに栄養バランスが整っていることが分かります。
まさかこの時代に栄養士がいたとは思えませんので、人間が「これが食べたい」という欲求は、体に必要なものをある程度満たすように発動されるものなのかもしれません。
しかし、それに対して可愛そうなのが一般的な勤め人、現代で管理人が属しているのと同じ、社会的な階層でいえば割と下の方の人たちの食事。
その内容は、
ご飯・乾燥させた海草らしきもの・塩
というような内容。
そうです。タンパク質源が極端に少ないのです。
まあ、足りないと言えば他の色々な栄養素も足りないわけですが、量が必要なタンパク質が食事の中でこれだけ少ないと、肉体的な成長が大きく制限されていた事は簡単に想像できます。
昔の日本にはプロテインが存在しなかった(当たり前ですが)だけでなく、タンパク質源に関しても「地位のある人だけが得られる貴重なもの」だったのでしょう。
もしかしたら、「貧乏な人は体が小さい」とか「身分が低い人は力が弱い」とか、それくらいの社会通念はあったかもしれません。
多少貧乏でも肉や魚が食べられる現代に生まれたことだけでも、かなりの幸運だったんだなあ・・・とつくづく思います。
(管理人へのご連絡は不要です)